一社労士の「芽」

貧困はどこまで追って来るか

コロナ禍で失業や倒産が増え、貧困拡大が懸念されています。Facebookでもタイムラインで「貧困世帯の子供を支援しましょう」という支援団体の広告を目にすることが増えていると感じます。

貧困の怖いところは、貧困世帯に生まれた子供に、または貧困に陥った家庭で育った子供に、貧困が相続されていくことです。
生活基盤になる衣食住の不足が直接的なダメージですが、より長く将来に渡って心身の体力を削っていくのは教育格差だと思います。

仕方のないことなのですが、豊かではない暮らしをしている大人は教育の優先度が一般的に低いです。それは自身だけでなく、子供に対しても。教育に振り分ける金銭的余裕の有無以前に、教育の生涯への影響を正しく理解できていないことが大きいです。

豊かではない家庭で、稼ぎ手に早くなることを求められる環境で育つと、学びたいという純粋な望みさえも「家族の生活を第一に考えない我がまま」という捉え方をされます。「教育は余裕がある中流家庭以上のもの」という一種の洗脳です。そしてそのマインドを持たされて親になるので、教育の価値を正しく理解できず、貧困が延長されていきます。

私は出身も育ちも世田谷なので、裕福な家庭の出身だとよく誤解をされますが、豊かではない家庭で育ちました。学ぶことが子供の頃から好きでしたので、早くから大学に進学して教師になりたいと望んでいましたが、家族からは早く稼ぎ手になることを求められました。

それでもまだ私が幸運だったのは、最初の勤め先である税理士事務所の大先生に高卒にも関わらず拾って頂けたこと、そこで出会った最初の上司がとても優秀で器が大きい方だったことです。

成長を望める環境を与えて頂き、自身でも努力を続けた結果、働きながら大学を卒業し、その後社会保険労務士になり、現在の経歴があります。それでも、高卒で専門職で働くということは学のなさを改めて自覚させられ屈辱でしたし、実際社会人4年目までは年末年始等の長期休暇の度に高熱で寝込む程心身に大きなストレスがありました。

自身の半生を振り返って思うのは、やはりいまだにこの国は出自で人を判断し、学歴主義、社歴主義、であることです。

専門職派遣をしていた頃、当初は大企業勤務経験がないですから、きっと大きな組織に属する人たちは育ちが素晴らしく学歴もあり私など及びもしない程優秀な人ばかりなのだろうと思っていました。

実際はそういった優秀な人たちはいわゆる上位2割でしたね。本来、指示を受けて仕事をする立場にある派遣社員の自分が指導側になってしまうことが少なくなかったです。

私の現在位置は、ネバーギブアップでたどり着いた場所です。何とか生活を成り立たせていますが、例えば貧困家庭でなく望んだとおりの進路にスタートを切れていたら、生涯年収も生き方も違っていただろうと思います。いまだに世の学歴主義社歴主義に苦しめられていますしね。

そして今、私が強く望むことは、甥・姪に同じ苦労をさせないことです。社会的オプション(出自・学歴・社歴)がどれだけ生きることに影響を与えるかを正しく理解し伝え戦い方を教えています。

負の連鎖を断ち切らなければ、貧困はどこまでも追って来る。そしてそれに抗う武器になる目減りしない財産は教育だけです。

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